
先日の人形ネタの続きです。
人形というものは、やはり目鼻口があって人形ですよね。
たとえば、どっかの土壁に目鼻のようなものが描かれていると人間は不思議とそこに意志や存在を認識します。
お化けや妖怪や亡霊なんてものは、所詮そんなところなのでしょう。
もし髪の毛が伸びる人形があるとしたら、そこにはもの凄い技術か科学があるということで、
きっとアデ○ンスとか、アート○チャーさんなどはビジネスチャンスですね。笑
さてお化けはともかく、モノに魂が宿るということを言われる方もありますがモノはモノであって魂はありません。笑
でも、なんとなく目鼻があるものに限らず、そこに魂を見出すことで、それを大切にする気持ちが生まれることは間違いないですね。
そうすることで社会やモラルが維持されることはあるとも思います。
これも宗教と似ています。
しかし、これは逆に言うと、これはいろんな問題をはらみます。
つまり、モノを大切にするのは、それに魂があるからでなく、そのものにそれだけの価値があるからであって、それを魂のせいにしてしまうと、本質がわからない人だらけになってしまうからです。
まあ子どもには、魂とかお化けとかは、動機付けには良い材料かもしれませんが、やはりそんな不条理・不合理な理由でなく、モノには価値というものがあって、汗水たらしたお金で買ったことも、作った人の気持ちもあるという本当の理由を理解させていくべきでしょう。
東南アジアの仏教などでは今も、良いことをすると成仏できるとか極楽浄土に行けるとか、輪廻転生から逃れられるということで善行をしなさい、お布施をしなさいというのがあります。
これもそういう動機付けがないと社会が維持できないからなんでしょうね。
どうして善いことをすると良いか?
その本質の意味を考えるとやっぱり宗教的な動機付けには違和感を感じます。
しっかり脱線しましたが、やはりブッダが言っていた(ホントかどうかはわからないですが。)何事も中道が大切で、ギターの弦も張りすぎれば切れるし緩すぎれば鳴らないわけでイイ具合でチューニングした人生がいいですね。
ということで、椿の人形は渋いし、かわいいし趣がありますが、生きていないので恐くありません。。。
安心して鑑賞にお越しください。笑