またまた、都築敏博ライブの宣伝。。汗
以下はファーストアルバム「ララバイ」リリース直後の2009年のライナーノート。本作で初めて都築の作品に触れたみなさんには、こちらも一読いただき、彼の前二作「ララバイ」「あの頃とはもう違う」も是非聴いてほしい。
●都築敏博は、街ですれ違ったとしても、特に印象が強いという風貌でもない。何も飾っていない。会話を交わしてもそこに強い自己主張を感じるわけでもない。むしろ、照れながら、静かに人と接し、どんな街にもいる懸命に生きる一人の50代である。
1960年代後半から70年代後半にかけての日本のフォークシーンは、街に多くのミュージシャンを生んだ。それは、必然的に社会が生み育んだ音楽だった。時にそれは、シンガーソングライターとしての憧れや希望だったり、社会変革を求める熱い思いだったりと様々な意味を持っていた。
60年代から70年代に社会の変化とともに生まれてきたフォークソングと今どきのフォークソングとは異質である。都築の唄は熱い音楽である。どうして今熱い音楽なのか。それは70年代から40年以上の月日が過ぎても、秘めたまま抱えられた残像なのだろうか。
都築敏博のララバイ。それは社会を生き、社会を支え、時代を作り、もがき苦しみながら、生き続けている世代への子守唄。もしあなたの心が、やり場のない日常と、うまく伝えられない言葉で埋め尽くされ、溢れそうになったときは、彼の唄を聴いてほしい。
彼の叙情と、彼の熱情と、彼の言葉と、彼の音楽を感じて欲しい。彼はあの日本のフォーク時代の遺伝子を持った歌い手だが、同時に確実にこの今の時代に生きるものたちの心の言葉を代弁し唄うシンガーだ。
※2009年「椿歳時記」より転載
●都築敏博は、街ですれ違ったとしても、特に印象が強いという風貌でもない。何も飾っていない。会話を交わしてもそこに強い自己主張を感じるわけでもない。むしろ、照れながら、静かに人と接し、どんな街にもいる懸命に生きる一人の50代である。
1960年代後半から70年代後半にかけての日本のフォークシーンは、街に多くのミュージシャンを生んだ。それは、必然的に社会が生み育んだ音楽だった。時にそれは、シンガーソングライターとしての憧れや希望だったり、社会変革を求める熱い思いだったりと様々な意味を持っていた。
60年代から70年代に社会の変化とともに生まれてきたフォークソングと今どきのフォークソングとは異質である。都築の唄は熱い音楽である。どうして今熱い音楽なのか。それは70年代から40年以上の月日が過ぎても、秘めたまま抱えられた残像なのだろうか。
都築敏博のララバイ。それは社会を生き、社会を支え、時代を作り、もがき苦しみながら、生き続けている世代への子守唄。もしあなたの心が、やり場のない日常と、うまく伝えられない言葉で埋め尽くされ、溢れそうになったときは、彼の唄を聴いてほしい。
彼の叙情と、彼の熱情と、彼の言葉と、彼の音楽を感じて欲しい。彼はあの日本のフォーク時代の遺伝子を持った歌い手だが、同時に確実にこの今の時代に生きるものたちの心の言葉を代弁し唄うシンガーだ。
※2009年「椿歳時記」より転載
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